施設と地域の交流について



 第5回勉強会のときにテーマとなったことについて簡単にまとめます。 (97/11/15)

 施設と地域の交流とは?

 関連する言葉 : 施設の社会化、ノーマライゼーション、自立の援助当たり前の生活を当たり前にしようとする欲求は誰にでもあります。テレビが見たいときにはテレビを見ます。また、食事をするときには、「今日は肉じゃがが食べたいなあ。」ということであれば、肉じゃがを食べます。自分で作ることができなければ、買い物に行きます。散歩がしたいときには、ふらっと散歩に行きます。「〇〇さんに会いたいなあ。」と思えば、ちょっと時間がかかっても会いに行きます。
 その昔、社会福祉施設は閉鎖的でしたが、ノーマライゼーションの理念が浸透してくるに従って、広く世間にその存在が認められるようになってきました。特に、高齢者人口の増加と介護を必要とする高齢者の増加によって、福祉が身近なこととして考えられるようになってきています。介護が必要な人が身近な存在になっていくと、障害があったり介護を必要とする場合でも、当たり前の欲求を満足させたいということを普通に考えるようになってきました。
 そこで出てきたのが、施設と地域の交流という考えです。施設が閉鎖的だと、考えとしては、欲求を施設の中ですべて満足できるようにしていこうということになります。先の例で言うと、肉じゃがは施設の中で、それも給食として出されます。自分で作ることなどありません。自分で作らないのなら、買い物に行くこともありません。散歩も、施設の敷地の中だけです。〇〇さんに逢いたくても、自分では逢いに行けません。面会に来てもらうことになります。これでは個人の欲求を満足させるということにはなりません。施設から提供されることが全てです。自分で選ぶことなんてもってのほかです。
 地域のとの交流とは、施設の中で全ての欲求を満足させることはできないというところから始まります。普通の生活では、家の中で全ての欲求を満足させていません。外にある設備・施設・サービスを利用します。この当たり前を施設にいてもやっていこうということです。散髪が必要なら、施設に散髪屋さんに来てもらうのではなく、自分の行きたい散髪屋さんに行くのです。お茶が飲みたければ、施設の中に喫茶店を作るのではなく、自分の好きな喫茶店に行くのです。そのようにすることで、自然と地域との交流ができていきます。

 もうひとつの交流もあります。それは、施設に地域の人が入ってくることです。施設にはさまざまな設備や、機能があります。専門知識や専門技術を持った職員もいます。そういった施設の利点を地域の人に利用してもらうのです。先にあげた散髪屋さんや喫茶店の逆になります。

 職員数の矛盾
 ここまできて、果てと困ったことが出てきました。それはわかる。しかし、それは、理想だ。そんなことはできるはずがないという考えです。理想でもできないのは、余裕がない、つまり職員がいないということです。
 「養護老人ホーム及び特別養護老人ホームの設備及び運営に関する基準」にある、特別養護老人ホームの職員の配置の基準によると、「生活指導員、寮母及び看護婦又は准看護婦の総数は、通じておおむね入所者の数を4.1で除して得たかず以上とする。」と決められています。
 法律はいつ読んでもわかりにくくて嫌ですが、つまり50人定数の特別養護老人ホームでは、12.2人以上の職員がいればいいということになります。逆説的に言うと、4.1人の入所者(高齢者)に対して、1人の職員がいればいいのです。
 この基準は考えるとわかりますが、総数での計算です。どういうことを想定して出てきた数かはわかりませんが、あくまでも総数です。しかし、必要な職員は常にということではないのかというふうにも考えられます。そう考えると、日勤、夜勤入り、夜勤明け、休みという勤務形態で考えると、単純計算で4倍の職員が必要です。夜は入所者も寝るので、夜に職員はそんなに必要ではないとしても、3倍の職員 が必要です。
 しかし、実際には36人も職員がいるはずもありません。この基準に従って、運営費が出ているから、職員を増やすと赤字になるのです。結果として、必要な援助の3分の1のしかできないか、必要な援助をしようとすると職員が3倍働くことになるのです。
              


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