ひとりごと part3

1999年12月4日のひとりごと
 本日をもって、ホームページを開設して2周年となりました。11月には、念願の1万件のアクセスも達成しました。掲示板も設定し、何とかそれなりの体裁は整っています。
 しかし、ソーシャルワークについての意見交換の場、実践について考える場としてはまだまだのような気がしています。3年目に突入したことも考え、新しい企画も考えていきます。見ていただいている方からの意見を大事にして行きたいです。次回からは「ひとりごとpart4」にしようかなあと思っています。

1999年11月27日のひとりごと
 去る11月23日に兵庫県尼崎市にて、「ダルク阪神フォーラム」が開催されました。大阪ダルクが主催したもので、私も参加してきました。私のゼミの学生がACと薬物中毒をテーマにした卒論を書きたいいうことで、ダルクのことを紹介しました。そして、タイミング良く「ダルク阪神フォーラム」が開催されたので、参加となった次第です。
 尼崎市は私の前任校である専門学校があるところで、会場となった尼崎市産業福祉会館は、よく利用していました。当然のことですが、精神障害の援助職も多く参加されており、尼崎市の保健婦さんや精神保健福祉相談員の方にも会えました。
 さて、ダルクは、DARCと表示され、Drug Addiction Rihabilitation Centerの略語です。内容は薬物嗜癖だった当事者が、同じ悩みと苦しみをもつ者として、どのような活動をしているのかというものでした。中心的なプログラムは、当事者の体験談で、ダルクにつながることでようやく薬物嗜癖から抜け出ることができたということです。指示しない、管理しない、命令しない、治療という関係でも起こるパワーゲームを一切排除した関わりの中で、薬物を使わないという「奇跡」おこるのだと強調されました。
 ただ、ダルクを支える「ダルク支援グループ」の存在もあり、当事者と専門援助職、ボランティアの協力が改めて必要であると思いました。

 大阪ダルクのホームページはありませんが、名古屋ダルクがホームページを開設しているのでぜひ、アクセスしてみてください。

1999年11月6日のひとりごと
 この時期になると、予算など次年度に関わることが仕事の中に入ってきます。私自身は、福山平成大学の実習委員会の副委員長を昨年、今年と2年にわたり担当しています。大学が設立されてまだ6年目の若い大学です。実習に関しては、まだ4年目です。そのために、まだまだ歴史の長い大学のようには実習に関する内容が確立されているわけではありません。
 実習に関しては、次年度から精神保健福祉援助実習U(配属実習)が新規に始まります。私はこちらの担当もしていますので、次年度の実習体制に関しては連日頭の痛い思いをしています。実習に関しては、内容が固まれば私が担当する講義等の紹介としてホームページでもご紹介するつもりです。

1999年10月2日のひとりごと
 大学の講義も後期に入り、ようやくもとのペースをつかむことができるようになりました。それと同時に、「研究」のページで紹介している障害者のニーズ調査を続けています。
 障害を抱えている当事者に話を聞く際に、了解を得て学生も同席しています。学生達は、それまでにあった偏見や誤解がなくなり、自分たちに近い存在として考えられるように意識が変化したようです。このことは、病院に勤めていたときにも看護学生やその他の大勢の人からも聞いたことです。
 これまで精神障害者と呼ばれる人たちに会ったこともないのに、「怖い」と思ったり、偏見や誤解を持つことの不思議さとともに、怖さを改めて思います。多くの人が精神障害をもつ方と接して、きちんとその病気や障害について理解するためには、実際に接することが重要です。そのために何が必要かをきちんと考えて行きたいと強く思います。

1999年8月29日のひとりごと
 8月25日から2泊3日で3年生のゼミ旅行に行ってきました。場所は、山陰方面です。
 このゼミは精神保健福祉士を目指すゼミなので、せっかくの旅行ならば自分たちの勉強になることを入れようということで精神障害者福祉の分野では有名な社会福祉法人桑友の見学に行きました。右の写真は、通所授産施設・マルベリー工房(中央)、まるべりー第一作業所(右)で撮った写真です。
 ついでに、島根ワイナリーにも寄ってきました(左)。
 そこで学生と話したことは、必要なことを見つけたときに自分の生活をかけてそのことをやろうと思い、実際にやった武田さんの決断力と行動力のすごさです。また、初めに相談した人が医療や福祉の関係者ではなかったということも感心させられます。
 雨に降られたりしましたが、良い体験をしました。快く受け入れていただいたことに感謝する次第です。


1999年7月18日のひとりごと
 7月16日(金)・17(土)の両日、札幌市にて第35会・日本精神医学ソーシャルワーカー全国大会が開催されました。私は、前日の15日に学科会議やゼミナールがあり、16日の朝に福山を出発したため、午前中のプログラムには参加できませんでした。
 幸いなことに、午後2時からの分科会には間に合うことができました。私が参加した分科会は第1分科会で、「分科会1 −地域生活支援センター活動の実際と課題− 」というテーマでした。
 その中で、地域生活支援センターができてきた歴史的な背景についても触れられました。本来は中立的な立場でするべきという考えから、保健所で行われるはずであったが実際には十分なことができなかったようです。特に、地域で生活する精神障害者の相談に24時間体制で対応することができなかったことが指摘されました。これは、公務員という立場上から出てくる勤務時間との関係でした。この結果、社会復帰施設に付属した社会復帰事業となりました。そして、この度は社会復帰施設として位置づけられることになったのです。
 いろいろなことが話し合われましたが、その中でも医療法人が地域生活支援センターを設立することにたいして意見が集中しました。医療法人が設置すると、どうしてもその病院に通院している人だけを対象にしてしまいがちになるということが多く語られました。あるところでは、地域生活支援センターを利用するために、設置している病院に外来を変更するなどという話も出てきました。このようなことがあると、社会復帰のために予算が組まれ、国のサービスとして税金が導入され、広く多くの人が利用できるべきことが十分行われないということになります。
 病院がさまざまな社会復帰施設を抱えることになったいきさつや、利用者の必要性に迫られて事業を展開してきたという話もありましたが、少し違うような印象を持ちました。病院が医療以外のことを抱え込むことはやはり違うということです。
 利用者の福祉を第一に考え、利用者主体という基本原則なのですが、さまざまのサービスを行うためには多くの限界があるようです。特に、サービスを作るための財政的な保障がなく、利用者に焦点を当て、本当に利用者主体のサービスを展開するための整備が遅れていることを痛感しました。
 (この第35会・日本精神医学ソーシャルワーカー全国大会の内容は、またアップロードする予定です。)


1999年6月26日のひとりごと
 今日、岡山県笠岡市にある痴呆性老人専門病院「きのこエスポアール病院」に見学に行って来ました。この病院は、1984年に日本で初めて痴呆性老人の専門病院として設立されています。
 私が以前勤めていた病院も1年後に福山市に痴呆性老人の専門病棟をもつ精神科病院としてできており、ほぼ同時期にできたことと隣り合わせの市にできたということでした。しかし、残念なことに一度も行ったこともなかったのです。
 今回、福山平成大学の学生が見学を希望したことをきっかけにして、今日見学が実現したのでした。次回は、同病院が運営に関わってい痴呆性老人専門のグループホームの見学を予定しています。ゆったりとした、本人主体の施設のようですから見学が楽しみです。


1999年6月17日のひとりごと
 今年度は社会福祉援助技術現場実習のうち、「高齢者福祉分野」の担当をしています。そのときに、いつも思うのですが、頭の中で考えているだけではなかなか実感としての援助や対象者のことが見えてこない、わからないということです。そこで、いろいろな工夫をするのですが、思うようにはできません。
 援助される側の気持ちを自らが体験することによって、初めて実感としてわかるようです。そのための方法として、キャップ・ハンディ体験は有名です。また、食事介助の体験や車椅子体験、ブラインド・ウオークなどがあるでしょう。
 このほかにも考えるのですが、なかなか良いアイディアがでてきません。どなたかご存じでしたらお教えください。


1999年5月5日のひとりごと
 2000年4月に導入予定の公的介護保険との関係で、さまざまの業種が福祉の分野に参入してきます。「福山市の福祉情報」でその一部を紹介していますが、用語のことで気になることがあります。それは、「たくろう」という言葉です。
 「たくろう」という用語は、記事にもあるようにそれまでに使われていた「託児」をもじって作られた造語です。しかし、改めてこの「たくろう」という言葉を考えるといろいろなことを感じます。
 「託児」を国語辞典で調べると、「用事のある親たちが、用の済むまで子どもを預けて、面倒を見てもらうこと」(新明解国語辞典・第3版)とあります。そうすると、「たくろう」は、「用事のある家族が、用の済むまで老人(高齢者)を預けて、面倒をみてもらうこと」となります。これでは、やはりサービスの主体は家族です。預けられることになる「高齢者」の主体性や意志は、この言葉からは感じられません。介護をすることの大変さを緩和する方法としてサービスを利用するのでしょうが、そのときには介護をする家族が主体なのでしょう。そのため、「たくろう」は「宅老」と表記されます。このことによって、預けるという意味合いはほとんどなくなりました。
 老人(高齢者)をサービス利用の主体と考えると、用語は変わってくるでしょう。一定時間そこにいて、ケアを受けるサービスという意味になるのではないでしょうか。そうすると、サービスを指す場合には、「デイサービス」「デイケア」となるでしょう。また、サービスを受ける場所を指す場合には、「デイホーム」でしょうか? 「宅老」はこのデイホームという意味を指すようです。
 些細なことでしょうが、気を付けなくてはいけないのではないでしょうか。


1999年4月13日のひとりごと
 今年度から、私が勤める福山平成大学では、精神保健福祉士の養成カリキュラムを導入しました。これに伴い、これまでにあった社会福祉士の養成に加えて、さまざまの対応をしていきます。
 このことに関して、学報に私が書いた文章があるので、ここで紹介します。

精神保健福祉士国家試験受験資格への対応と、コース制の導入について
 平成9年12月12日に国会において精神保健福祉士法が成立した。これに伴い、本学においても平成11年度より、従来から行っていた社会福祉士養成に加えて、精神保健福祉士養成にも対応することになった。社会福祉系の大学のほとんどが同様に精神保健福祉士養成に対応していく中、資格取得への要望が学生に高いことも考慮しての決断である。
 しかしながら、本学科は、経営福祉学科ということもあり、国内に唯一の学科としての存在意義も確立していかなくてはならない。そのため、苦心の結果、経営福祉コース、社会福祉コース、精神保健福祉コースという3つのコース別の学習体系を導入することになった。
 2年次までに、経営福祉に関する基礎科目である経営関連科目と福祉関連科目を履修し、併せて、社会福祉援助技術現場実習Tと精神保健福祉援助実習Tを履修することにより、3年次からのコース選択がよりスムーズにできるようにしている。
 現在、社会福祉基礎構造改革が急ピッチで進み、西暦2000年には公的介護保険制度も導入される。昨年はNPO法案も施行され、社会福祉そのものも大きく変わっていこうとしている。そして、大学は、時代の流れを敏感に感知し、社会に求められる人材の育成をしていかなくてはならない。  今回の精神保健福祉士養成への対応とコース制の導入により、経営福祉の特徴も明確になり、より充実した教育につながるのではないだろうか。 


1999年3月22日のひとりごと
 今日は福山平成大学の第2回卒業式でした。開学して丸5年、ようやく第2期生が卒業しました。社会福祉の実践現場にもようやく2回目の卒業生が出ていきます。
 地域の社会福祉実践の場とはまだまだ関係も浅く、これからのことが多いですが、卒業生や実習生が実践の場に出ていくことで次第に福山平成大学の社会福祉教育のことがわかっていただけることと思います。
 卒業生の皆さんには、大変でしょうが精一杯頑張って、疲れたときには大学に戻って来てください。いろいろ話がしたいです。


1999年3月17日のひとりごと
 福山平成大学に就任してようやく1年になります。現在は、次年度の社会福祉実習の手引きの作成に追われています。社会福祉士国家試験も今年の2月で11回目を数えました。よりよい社会福祉実践をするためには、社会福祉実習教育の充実が不可欠です。そのためには、実習教育の中で何を学生に伝えたらいいのか、伝えるためにはどうすればいいのかなど、やるべきことが山積みになっています。
 創立5年のまだ若い大学ですが、学生が卒業して実践をする場所ではそんなことを言っていられません。利用者にとってみれば、目の前にいる人が自分にとっていい人で、良い援助をしてくれるのかどうかが一番大事だからです。

 話は変わりますが、去る13日は前任校の卒業式でした。その夜には、昨年の卒業生と同窓会をしました。同窓会のメンバーは、就職してちょうど一年です。実際に福祉の現場で働き、大変な思いをしていることを知り、その上でお互いの努力を認めあうことができ安心しました。
 そして、改めてこのホームページの開設の主旨を考えました。社会福祉実践をしている人のためになるような内容を考えると、まだまだ不十分ですが、なんとか役に立つようにしたいです。

1999年2月7日のひとりごと
 私の前任校の学生から手紙をもらいました。現在2年生で、この3月に卒業です。その内容は、就職が決まったというものでした。この学生が1年生の時に、私が社会福祉援助技術総論を教えていました。前任校で最後の学生です。
 私自身は、何も就職に関して役に立つようなこともしていないのに、わざわざ連絡をしてきてくれたのです。ありがたいことです。



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