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ソーシャルワーク面接における 「書くこと(writing)」の活用について
長崎 和則
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| 〔要旨〕 |
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ソーシャルワークの援助では、面接を通してクライエントの話を聞く。そして、その過程において、クライエントが抱える問題の原因となっている欲求・感情の抑圧を明らかにしていく。これは、クライエントの立場からみると、自分の抑圧してきた欲求・感情に気づき、その欲求・感情を援助者に話すということになる。つまり、欲求・感情を表現して、それを受容してもらうという経験が必要となるのである。 面接の際には、「話すこと」だけでなく「書くこと」を活用することが重要である。「書くこと」を活用することによって、欲求・感情についての表現が促進され、「話すこと」ができやすくなる。 本稿では「書くこと」を活用することの重要性と、「書くこと」を活用するときの注意点にはどのようなことがあるのかを論じた。 〔キーワード:ソーシャルワーク、面接、コミュニケーションの改善、抑圧、言語化、話すこと、書くこと〕 |
| I、はじめに |
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最近、登校拒否、非行、出社拒否、ひきこもり、児童虐待などのさまざまな問題が増加してきており、社会的な問題となっている。広島県教育委員会が調べた資料によると、1998年度の不登校(30日以上の長期欠席)の数は、小学校1823人、中学校3029人である。この長期欠席の調査が始まった1991年度に比べると、小学校では3.1倍、中学校でも2.3倍になっている。1) また最近では、正式な統計による数字はないが、大学生の不登校の増加がある。2) 3) 筆者の経験でも大学や専門学校に進学している学生の中には、入学後に登校ができなくなったり、そのことが原因で退学をしてしまう学生がいる。 さらに、児童虐待に関する厚生省の発表によると、1997年度の児童虐待に関する相談の数は、5352件であり、昨年より30.5%増加している。過去5年間では、3.9倍に増えている。4) このような問題が増加しているが、その対応法としては、周知の通り、面接場面で問題を持つ人の「話すこと」を聞くという方法がとられている。このような問題を持つ人たちに筆者自身が実際に関わる中で、面接を進めていく時に、「聞くこと」だけでなく、「書くこと」を積極的に活用することが重要であり、効果的であるということがはっきりしてきた。 そこで、本稿では、この「書くこと」の基本的な意味や役割をはっきりさせていきたいと考える。また、面接を行うときに、「聞くこと」を補助、あるいは促進する方法として「書くこと」を位置づけたいと思う。さらに、実際に「書くこと」を活用する際の注意点についても言及したい。 |
| II、欲求・感情の抑圧と表現することの意味 |
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1、欲求・感情の抑圧とその表現 先にあげたさまざまな問題の原因にはいろいろな原因が考えられるだろうが、一般的には、欲求や感情の抑圧が原因であると考えられている。欲求・感情があってもそれが表現できないままでいると、その欲求・感情は行き場を失ってしまう。そして、行動や身体の症状として表現されるのである。 毎日の生活の中で、自分の思うように物事が決まり、自分の思うように物事が進んでいく場合には我慢をすることはない。また、欲求不満も起こってこない。しかし、物事は自分の思うように進まないことの方が多い。それは、自分に原因があったり、周囲の人との関係の中で自分の思うようにできないような状況が起こるからである。対人関係の中でも、他の人が自分と同じように感じたり、考えたりすることはない。そのような状況では、生きていくうえでの困難が起こり、その結果がストレスとなり、さまざまの感情が生み出されてくる。 感情は、「うれしい」「楽しい」「好き」「面白い」「楽しい」「満足」、などのプラスの感情と、「悲しい」「嫌い」「腹が立つ」「淋しい」「悔しい」「いらだつ」「怒り」「むかつく」などのマイナスの感情とに分けられる。プラスの感情は、他人と共感的な状況の中で生じてくる感情であり、相手との関係が良好になるようにはたらく。他方、マイナスの感情は、他人との対立、不調和の状況の中で生じてくる感情であり、ストレス状況を生み出す。 このような2種類の感情があるが、人が生きていく上ではこれらは同様に受け入れられるわけではない。プラスの感情は、個人的にも社会的にも好ましいものとして考えられ、受け入れられやすい。これに対し、マイナスの感情は、特に日本社会では、好ましくないものとして受け止められている。そのために、表現することも良くないことと考えられている。 さまざまの感情が生じるのは、その個人にとって当然の理由があり、個人がそのように感じるのは自然なことである。それは、マイナスの感情についても同様である。しかし、常にその感情が表現されて、ストレス状況、欲求不満が解消されるわけではない。当然、表現されるべき欲求や感情が表現されないと、欲求不満は残ることになる。そして、その欲求不満が個人の許容範囲を超えた時に、表現形態の一つとして問題とされる行動が起こってくると考えられるのである。 2、欲求・感情が表現できない理由 感情や欲求が表現できない理由としては、大きく分けて2つが考えられるだろう。一つは、対人関係上の理由であり、もう一つは、社会的・文化的な理由である。 対人関係は、家庭内の教育・しつけという親と子との関係の中でその基本形が形成される。多くの場合、子どもは厳しくしつけなければ、大人になってから困ると考えられたり、いつまでも甘えさせてはいけないと考えられる。そのため、大人からみて悪いことをすると、注意を受けたり、怒られたり、あるいは怒鳴られたりすることになる。また、親の言うことを素直に受け入れないと、罰を与えられることもある。 このような対応をされると、表面的には、子どもは大人のいうことを素直にきいているように見える。しかし、本当のところは、子どもは恐怖感を感じ、素直な感情・欲求があっても表現できなくなっているのである。 つまり、欲求・感情を表現できないという裏には、表現しても受け入れてもらえないという事実がある。心が正常に機能するためには、欲求・感情を表現することが重要であり、さらに表現したら、受け入れてもらうという体験が必要なのである。 このように、欲求・感情を表現しても、受け入れられるという体験がないと、自分の感じていること、思っていることは表現してはいけないこととして捉えられる。このような体験をした子どもは、相手に受け入れられるかどうかに対して非常に敏感である。対人関係の基本形が作られる家庭内で受け入れられることがないと、欲求・感情はそれ以外の場面でも表現されることがなくなる。そうすると、周りからは「おとなしい子」「いい子」「素直な子」に見えるということになる。逆に、表現する子どもは、「わがままな子」「悪い子」と考えられてしまう。 しかし、表現しないから欲求・感情がないのかというと、そうではない。感情・欲求はある。ただ、表現しても受け入れられることがないので、表現されることがなくなっている。抑圧されているだけなのである。 以上のようなことは、個人にとって最初の人間との接触である母親や父親との関係の中で形成されていく。特に、乳児期に一番濃密で重要な関係である母親との関係は、人間の人格形成に多大の影響を与える。子どもの人格形成に重要な役割を持つこのような関係の相手を、重要な他者(signigicant others)といい、その相手との関係がその後の行動様式に重大な影響を与える。もちろん、家庭環境によっては母親以外の人物になることもあるが、通常は母親であることが多い。 このような重要な他者としての母親や、その他家族の構成メンバー間のコミュニケーションの中で、乳児の欲求・感情が受け入れらないと、欲求・感情は良くないこと、いけないこととして捉えられる。欲求・感情があっても、表現してはいけないのである。そして、自分が自然に感じたり、考えたりすることを表現しなかったり、相手に受け入れられるような内容に変えたり、受け入れられる表現に変えてしまう。つまり、建前のコミュニケーションというゆがんだ形態を取ることになるのである。さらに、この状態が続くと、ゆがんだコミュニケーションが当たり前のものとなっていく。これが、性格の殻(charactor armor)や仮面(persona)となり、そのような行動様式をとり続けることになってしまう。このような行動様式があると、感情や欲求の抑圧が繰り返し起こることになる。そして、そのような方法でうまくいかなくなったときに、問題行動として表面化するのである。 一方、日本の社会では、個人的な感情は表現することは、良いとは考えられていない。個人的な感情は、むしろ抑えられるべきであり、表現した場合には、「大人げない」「子どもっぽい」といった表現がなされる。特に、マイナスの感情は、社会的にも表現してはいけないものとして強く考えられている。 これは、四季という季節の移り変わりの中で、時間的な制約を受け、その限られた時間の中で農作業をしないといけないという風土的な条件に左右されていると言われている。つまり、日本的風土の中では、個人的な感情を表現するより、周囲と協調し、自分を押さえたほうが社会的に優れていると考えられ、そうしなくてはいけないのである。 また、高度経済成長の時代には、女性の社会進出がはかられてきたという状況もある。女性の社会進出は進んだが、女性の社会進出を支える男性側の理解や協力の欠如がある。女性は、就職と結婚が重なると、男性と同様の仕事をこなしながら、家庭では、家事をこなさなくてはいけない。さらに、子どもが生まれると、さらに育児までしなくてはいけなくなる。男性に比べ、多くの労働をこなしているのである。そうすると、余裕がなくなってしまい、子どもの欲求・感情の表現を受け入れることができなくなる。 |
| III、 面接における「話すこと」と「書くこと」 |
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1、 欲求不満と3つの解決法 欲求不満を解決するための方法としては、3つの解決法がある。まず、言葉でそのことを表現する言語化(verbalization)がある。次に、行動で表現する行動化(acting-out)、さらに、身体の症状として表現する身体化(somatization)がある。5) 言語化とは、たとえば、腹が立つときには、ありのままに「腹が立つ」と相手に言葉でいうことである。これが一番健全な表現方法である。しかし、先に述べたように、コミュニケーションの構造がゆがんでいるときには、この当たり前の方法ができない。そのような場合には、欲求・感情は行き場を失ってしまう。 そのような時には、行動化ということが起こる。たとえば、小さい子どもが言いたいことがあるのに適切な言葉が出てこないようなときに、ただ「ばか。ばか。」などと言って、親を叩いたりする。また、相手に直接感情をぶつけられないときに、ドアを蹴ったり、物を投げたりする。いわゆる、「物に当たる」ということである。このような行動化は分かりやすいが、一般的にわかりにくく非行や登校拒否、家庭内暴力などの問題行動といわれることは、ほとんどの場合、この行動化が起こっている。 さらに、行動化でも表現できない場合には、身体の症状として表現されることがある。これが身体化といわれるものである。登校拒否児のよく言う、「おなかが痛い」「頭が痛い」「体がだるい」等の状態である。これは、成人でも起こり、頭痛・腹痛・肩こり・胃炎・下痢などの症状がそうである。 表面的には、行動化は派手に見える。それは、周囲の人にはっきりとわかり、また迷惑をかけられるといった特徴があるからである。しかし、欲求不満の表現という視点から見ると、身体化の方が重症である。ただ、周囲の人にはそれほど迷惑をかけるということではないために、軽く見られているからである。 2、欲求・感情の表現に面接が果たす役割 行動化や身体化は、欲求・感情が言葉で表現されるという健全なコミュニケーションができず、そのために欲求不満が解消されないことが原因で起こる現象である。ソーシャルワーク援助では面接を通して、このようなゆがんだコミュニケーション方法を変化させて、より健全な方法である言語化ができるようにすることが重要である。 欲求不満になるような感情・欲求の当事者である親などに対して、直接表現することが一番良い方法である。しかし、それができない場合に、そのような感情・欲求の内容を面接者が聞くことで、直接ではないにしても表現でき、受け入れてもらう体験になるのである。つまり、「ケースワークによる援助や治療とは、実はこのような欲求不満や不安をもつクライエントの行動化や身体化という非言語的チャンネルによる感情の表出を、ケースワーク関係という批判や報復のおそれのない『安全な場』(safe space)を与えることによって言語化させることにある」のである。6) そして、「ケースワーカーは、このようにして親や社会によって作られ、表出口を見出せない欲求不満や恐怖を、受容的、許容的な関係を与えることによって言語化させる。ケースワーカーは、親になりかわって、クライエントのうっ積したこの種の悪感情を表出し、受け止める機会(人間関係)を与える」。7) また、「面接者は、言語化の媒介者でなければならない」8) のである。 面接者が親という重要な他者の代わりになり、欲求・感情を受け止めることで、その人がこれまで形成して、自分の行動様式となっている対人関係のゆがみやゆがんだコミュニケーションを健全な方法に変えるという意味がある。 しかし、実際に面接をするとわかるが、言語化を図ることは難しい。クライエントに話してもらうことが大切なのはわかるが、なかなか話してもらえない。自分の欲求・感情を出さないことが良いことであると確信し、そのようにして生きてきた人に、今までの表現方法を変えてもらうことは、これまでの生き方を否定することにもなり、非常に困難なことである。 援助場面では、面接者との関係の中で自分の欲求や感情を話すことに意味があるのだが、なかなか話すことが出来ない。欲求や感情を表現することに対して、強い抵抗が起こるのである。あるいは、欲求や感情そのものがないと思い込んでしまっているのである。つまり、実際はいろいろなことを感じているのだが、あたかも自分はそのようなことを感じていないかのような状態になっているのである。 3、言語化を促進する方法 さて、以上のような困難が起こったときには、どのような対応法があるのだろうか。児童のように言葉の獲得が十分できておらず、言語化が困難なときには、遊びを通してその中に表現されている内容を、面接者が受け止め、解釈し、本人に変わって言語化するという方法がある。すなわち、遊戯療法(play thrapy)である。 また、急性ストレス障害(Acute Stress Disorder)や、心的外傷後ストレス障害(PTSD:Post-Traumatic Stimulus Disorder)のように、恐怖や不安が強い体験の後には、自分の体験した内容を言葉にすることが難しい。そのような場合に、対象者に絵を描いてもらうことによって、直接的ではないにしてもその時の状態を表現したり、恐怖や、悲しみの感情を表出するという方法もある。 その他に、夢を再現し、その夢を各々言語化したり行動化する体験を「夢のワーク」と言っている。また、自分自身が身体のある部分になったようにしてその身体の部分としての思いや感じを言語化したり、行動化する経験として「ボディー・ワーク」と呼んだりする方法がある。9) |
| IV、言語化を促す「書くこと(writing)」 |
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1、言語化としての「書くこと」 本稿では、援助の方法としての面接をより効果的に行う方法として、「書くこと」に焦点をあててみた。 面接では、言語化というと、「話すこと(talking)」がその中心となるが、言語化には、「話すこと」以外に、「書くこと」もあり、これらを併用することが重要である。 言語化は、もちろん直接口に出して言うことが第一義である。さまざまな援助の方法は、この言語化の場面として面接を捉えている。特に面接の場面では、援助者に話すことが要求される。そこで、「話すこと」が難しいような場合には、クライエントの感情や欲求を表現してもらう方法として、「書くこと」を利用することは有効な方法となるのでである。 この「書くこと」の例としては、レター・カウンセリング(letter counselling)があげられる。10) そこでは、「子どもが『書く』内省行為を通じ、自分の力で問題解決していけるように」している。そして、書くことで癒されるのである。 また、この方法は、文書療法(epistothrapy)とも呼ばれる。文書療法は、「日記、随筆、サークル活動内のニュースレター、そして文通など『書くこと』によって自己の悩みや苦しみを綴り、自己開示を通して苦しみの軽減や解消をはかる方法」として定義されている。11) また、その内容として、「書くことによって心の重荷をおろし、問題の核心をはっきりさせて自己開示の活路を見出すのである。ある人は面接相談(カウンセリングや心理療法)を求めるであろうし、他の人は読書によって自己成長をはかり、またある人は日記や作文によって自己の心の悩みを吐露する。形式こそちがえ、すべて『心の煙突掃除』なのである。」と言われている。この他に、手紙による治療的コミュニケーションとして捉えている場合もある。12) 13) このような「書くこと(writeing)」に関して、尾川は次のようなことがおこると指摘している。14) (1)今まで意識されなかった自分に気づく。 (2)本質的なものが、内在されていることに気づく。見える事象、あるいは理解されている事実の底に、ある本質的なものの存在をみつける。 客観的な理解の奥に潜んでいるものが、自分に集中することによって、掘り起こされるのである。 (3)小さなことと思われていたものが、自分の意識をとおしてみることによって、拡大される。 (4)意識の底に沈んでいた記憶が喚び起こされ、異なった次元に整序される。 さらに、「人間の頭には、数多くの体験と知識とが『死蔵』されている。書くことは、 『死蔵』されているものを、呼び覚ますことである。」という。そのため、書くことに よって、「一種のカタルシスが感じられ」るのである。 2、言語化を促す方法としての「書くこと(writeing)」 以上のような、書くことを利用した援助方法は、文献をみる限り単独の方法として用いられている。しかしながら、「書くこと」は単独で用いるより、言語化としての「話すこと」を補助あるいは促進する方法として位置づける方が良い。それは、すでに述べたように、問題の原因となっている対人関係の改善には、「話すこと」が最も良いからである。言語化は、直接他人に欲求・感情を言うことにその意味がある。そのため、「書くこと」だけで終わってしまうのではなく、「言うこと」に積極的に結びつけることが重要となるのである。 3、事例に見る「書くこと」の活用 ここでは、「書くこと」を実際に使用し、面接に良い影響を与えられたケースを2つ紹介してみよう。 事例(1) Αのケース …… 友人への悪口 Αは19歳の女性。自己中心的な友人との関係で、その友人がとる自分勝手な行動については、かなり我慢をしていた。それは、相手のことを考え、嫌なことを相手に伝えると相手を傷つけるのではないかということを心配しての行動だった。 しかし、我慢を続けているうちに、イライラ感が増えていた。Αは、自分でもその感情の取り扱いに困っていた。 最初Αは、自分の問題を解決したいとからというよりは、その友人の勝手な行動を何とかしたいということで相談に来た。その時点では、自分自身にも問題があるとは考えていなかったようである。 Αは大人しく、自分の感情をあまり積極的に話すことはなかった。常に、その友人に対して自分はどうしたらいいのかという話しに終わっていた。そこで、友人に対して思っていることや感じていることを書いてきてもらうことにした。 書かれたものの内容は、次のようなものであった。 〈相手に対して、思うこと〉 私にだけいろいろなことを言わないで欲しい。 都合の悪いときに、無視したりしないで。 悪いと思っていないのに、謝らないで。 そんな態度をとらないで。 〈自分の感情に関して〉 人に対しての怒り、自分のこころに潜む汚い(こころ)気持ちがこんなにあることに気づいた。自分自身を振り返ると、人に汚いところを見せず、いつも守ってばかりいたように思います。 ひどいことを考えていたことを考えると、ぞっとするけれど、これが私なんですよね。 上記のうち、自分の感情に関してという項目は、筆者が要求したことではない。本人が、感想として書いてきたものである。相手に対する自分の感情を振り返り、見つめるうちに、自然に自分自身の感情について書きたくなったようである。 その後、この内容について本人と話し合い、自分が相手の表情や態度をいつも気にしていたことについても語られるようになった。また、友人の行動も確かに問題であるが、そのことに対しての自分の反応にも問題があることがわかってきた。 結果として、友人の行動についての相談は、いつの間にか形を変えた。つまり、自分の問題でもあるというように捉えられるようになったのである。さらに、このような相手の表情や態度をいつも気にしているのは、家族の中での自分と深く関わっているということに気づくようになっていた。 事例(2)Bのケース …… 母親への怒り Bは、20歳女性。自分が変なのではないか。という思いにとらわれていた。面接の当初は、自分が考えていることなどについて話すことはなかった。話しても、毎日の生活で起こる出来事についてだけであった。そして、しきりに「私って変?」と聞いてくる。 話しを聞くと、頭が重くなったり、肩がこったり、お腹が痛くなったりすることがわかってきた。身体化が起こっていたのである。しかし、自分の気持ちに関しては話そうとはしなかった。 そこで、毎日の生活の中で、感じたことをノートに書いてきてもらうことにした。何でもいいので、書いてきて欲しいと依頼した。するとBは、最初は、「書くことがありません。」と書いてこなかった。 しかし、次第に少しずつ自分の感じていることを書いてくるようになった。かき始めの頃は数行程度であったが、その後、多いときには、1週間の間に、大学ノートに14〜20ページ程度の量になっていた。 内容的にも、最初は、当たり障りのない毎日の出来事についてであった。しかし、面接を重ねるに従って、次第に母親に対する怒りについての表現が増えていった。 たとえば、次のような部分がある。 「ドラマで盗食する女性が出てきた。その顔が自分の顔のように見えて、涙があふれ てきた。身体は固まっていた。心の中で、『お母さん。見て。私のこと心配して。』 と叫んでいた。 でも、お母さんはティッシュペーパーを私にくれただけだった。それだけだった。私、胃がすごく痛かった。 涙が出てくるよ。怖いよ。泣きたいよ。つらいよ。悲しいよ。助けて。やっぱりお母さんだ。お母さんが優しく、私を愛してくれたらいいのに。」 面接者は、この内容を本人に声を出して読み上げてもらった。また、そのことについて改めて話してもらい、その時の感情や気持ちについて話してもらった。また、話されたことを受け入れることに努めた。 その後Bは、お母さんが以前体調を崩したときに、自分がお母さんを守らないといけないと思うようになった出来事について話せるようになっていった。そして、本当は自分がお母さんから優しくしてもらいたい、守ってもらいたいと願っているのに、実際には立場が逆転していることになっていることに気づくようになった。 母親に愛してほしい、優しくしてほしいのに、母親はそうはしてくれなかった。どうして母親は優しくしてくれないのかという思いが一杯になり、母親に対する怒りの感情が強くなっていったのである。 以上のように、2つのケースでは、「書くこと」によって自分の持っていた欲求・感情が明らかになっていった。そして、そのことについて面接の場面で話し合うことによって次第に言語化が進んでいる。また、それまでは決して表現することがなかった欲求・感情を面接者に直接言えるように変化していった。 |
| V、「書くこと」の意義 |
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1、「話すこと」と「書くこと」の違い 言語化には「話すこと」と「書くこと」の2つがある。しかし、それぞれの特徴は、いくつかの点で異なっている。この2つには、自分の欲求・感情を表現するという共通点はあるが、表現をする相手との関係において違いがある。 問題といわれるさまざまな行動は、相手との関係のゆがみ、コミュニケーションのゆがみを象徴的に表している。相手との関係の修復を図るという立場から考えると、望ましい方法である「話すこと」ができるためには、「書くこと」というプロセスを経ることが効果的と言えるのである。 それでは、「話すこと」と「書くこと」の違いとはどのような点であろうか。このことは、文献を見る限り、特に見あたらない。そこで、筆者が実際に面接をしたクライエントの言葉の中から見つけたことを中心に述べていきたい。 「話す」ときの特徴は、相手と向き合うという状況が必然的に想定される。そうすると、この「話す」という行動には、相手との関係の質が重要な意味を持ってくるのである。自分の欲求・感情を出せないようになったのは、「話し」をしても、受け入れてもらえないという過去の関係があったからである。そのため、「話す」ときにはそのときの受け入れてもらえなかった経験が影響を与え、「話しても、受け入れてもらえないのではないか」という不安の感情を引き起こしてしまうことになる。つまり、この不安が「話す」ことを難しくさせるのである。 また、「話す」時には、相手の表情や仕草が見える。そこでは、自分が話しているときや話したときやその後に、相手がどのような反応をとるのかがダイレクトに伝わってくるという特徴がある。言葉では受け入れているように振る舞っても、こころの中で本当に受け入れる態勢がないと、そのことは自然に相手に伝わってしまう。つまり、非言語的コミュニケーション(non-verbal communication)が重要な役割を持ってしまうのである。 面接を続けるなかで、面接者の受容的態度から受け入れてもらえるということはわかっても、以前に体験した、「怒らないから、話しなさい。」と言われた時のことを思い出すのかも知れない。そのときのように、相手を信じて本当のことを話したら、相手が怒り出したり、それまでの良好な関係が崩れたり、関係そのものが無くなったり、そのときに怒られたり、叩かれたりといった嫌な思いをしたことがよみがえるのかもしれない。このようなことがあると、話したくても、話せないのは当然のことである。 他方、「書くこと」の特徴は、読んでもらう相手はいるが、書くときには自分一人であるということである。そのため、自分のペースで言葉にすることができる。相手が目の前にいないので、相手の反応にじゃまされることなく、一方的に自分の気持ちを書けるのである。表現したときに、すぐに批判されないということである。しかし、欲求・感情を自分で見つけだし、それを書きとめるという作業が必要となる。相手との関係の中での、気づきや発見はない。 このことに関してであるが、以前筆者が内観療法(身調べ)をおこなったときに、精神分析医とその方法について検討したときの内容が参考となるだろう。内観療法は、自分が幼少期に母親にしていただいたことを思いだし、書きとめていくという方法をとる。過去の体験を書くということは一人でも出来る。しかし、大切なのは、そのことを相手に話し、その内容やそのときの状況、そのときの自分の感情について話し合うことができることである。 また、現在そのことをどのように思うのかということや、そのことをどう感じるかについても話し合える。そういう意味で、面接者という他人に「話す」ということを伴う面接というものは非常に重要な意味があると言えるのである。 2、「書くこと」の活用法 面接の際に、「書くこと」をしてもらうと、クライエントはさまざまな表現で「書くこと」について教えてくれる。一番多いのが、「話すこと」はできないけれど、「書くこと」はできるということである。 面接の当初に、こう表現されることが多い。その理由は、援助者との関係がまだできておらず、話しても受け入れてもらえるという確信がクライエントにないからである。特に、自分が良くないと考えているマイナスの感情は表現されない。 この時期に「話すこと」の補助として「書くこと」を使うことは、援助者との緊張した関係から解放された状況の下で、自分の感情を密かに表現できることになる。当然、援助者は受け入れてくれるはずだと思っていても、実際に受け入れてもらえるという体験をしないと、安心して表現はできない。この面接初期の特徴である問題点を、「書くこと」を活用することで補うのである。 黒川も、面接を補い、促進するものとして、「感情についてのレポート」を活用することを提唱し、次のように述べている。15) 「つまり、感情に気づかせるための手段として、相手に自分の心に浮かんだ感情についてレポートを書いてくるようにするのである。この方法によって、自分の感情に注目し始める。」 具体的には、 「A 腹が立ったとか、うれしかったなど、自分が感じた感情を書く。 B どのような場面で、どうしてその感情を体験するようになったか。 C この感情を処理するのにどうしたか。 D そのことによって、自分の心と体はどうなったか。」 について、書いてもらう。そして、「この記録は、面接時の話の素材となる。」と言う。また、大事なこととして、「この方法で最も大切なことは、家庭生活で自分がどう感じたかというレポートを書くということだけでなく、持参した際に、自分が感情をどう処理しているか、話し合うことである。」と指摘している。16) この時期には、書いてもらった内容を、面接場面で声に出して読んでもらう。あるいは、援助者自身が代わりに読み上げるということをおこなう。親との合同面接では、親に声を出して読んでもらうこともある。そして、そのときの状況や、そのときの感情等についてどうだったかを聞き、そのときの感情を援助者は、受容する。さらに、そのことについて、現在どう思うかなどについて本人と話し合うのである。 面接の段階が進み、援助者との信頼関係ができてくると、クライエントは、次第に書いてもらったことを「話すこと」で補うようになる。「一応書いてきたのですが」とか、「○○と書いているのですが」とか言ってから、その内容について「話して」くれる。また、援助者が問いかけなくても、自分が自主的に話すことができるようになる。さらに、書いてきてもらった内容とほぼ同じことを、書かれたものに頼ることなく、話すことができるようになる。 このように、面接の段階によって面接者との対人関係の質が変化していくに従って、「書くこと」の意味や役割は変化していく。面接者に受け入れられるという体験が積み重ねられるに従って、よりダイレクトに「話すこと」で欲求・感情を表現できるようになるのである。 |
| VI、まとめと今後の課題 |
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以上述べてきたように、面接場面で「書くこと」を利用することは有効であり、「話すこと」を補助する、あるいは促進する方法として重要である。しかし、「書くこと」をどのように位置づけていくのかについては、さらに詳しい研究が必要であろう。 また、ソーシャルワークの過程はいくつかの段階に分けられるが、同じ「書くこと」といっても、その意味は段階によって異なってくると思われる。したがって、それぞれの段階でどのようなことが問題点となるのかについて、面接を重ねることによって、はっきりさせなくてはいけない。 また、どのように「書くこと」を活用するのかについてや、「話すこと」への移行の方法についてなど、より効果的な方法につては、実践を踏まえた継続的な研究が必要である。それらのことに関しては、今後の課題としたい。 |
| 〔引用文献〕 |
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1) 朝日新聞、1998年8月28日、朝刊 2) 日本経済新聞、1998年8月30日、朝刊 3) 朝日新聞、1998年9月29日、朝刊 4) 日本経済新聞、1998年10月24日、朝刊 5) 黒川昭登、『臨床ケースワークの基礎理論』、誠信書房、1985年、pp.98-99 6) 黒川昭登、前掲書、p.100 7) 黒川昭登、前掲書、p.101 8) 黒川昭登、前掲書、p.277 9) 倉戸ヨシヤ、「ゲシュタルト療法」、『現代のエスプリ別冊 心理面接プラクティス』、至文堂、1998年、p.205 10) 日本経済新聞、1998年6月28日、朝刊 11) 布施豊正、『心の危機と民族文化療法』、中公新書、1992年、pp.181-182 12) 国谷誠朗、「ナレーティブ・セラピィ ー物語療法ー」、 『現代のエスプリ別冊 心理面接プラクティス』、至文堂、1998年、p.151 13) 栗田修司、「ソーシャルケースワークにおける手紙の利用」、 『岡山県立大学保健福祉学部紀要』第3巻1号、1996年、pp.115-122 14) 尾川正二、『原稿の書き方』、講談社現代親書、1976年、pp.82-83 15) 黒川昭登、『閉じこもりの原因と治療』、岩崎学術出版社、1996年、pp.135-137 16) 黒川昭登、前掲書、岩崎学術出版社、1996年、pp.135-137 |
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