「びんご・生と死を考える会」
活動内容 1999 

1999年12月18日、「びんご・生と死を考える会」の忘年会が開催されました。
 このページで紹介してきました通り、今年は会の名前が、「あすなろ会」から変更になり、会を軌道にのせようという皆さんの意気込みの中で、いろいろなイベントを行ってきました。がんばりすぎて、息切れしないようにという思いから、世話人代表の数野先生には、そのことをよく言っていました。
 しかし、振り返ってみると、バラエティに富んだ催し物ができ、今後の会の運営に関する役員会でもこれからのかいの方針に関するアイデアも出てきました。いろいろなことが考えられますが、大きなこととしては、会が主催して「ホスピス・ボランティア養成」をぜひ行おうということになりました。国外のホスピスでは、ボランティアの存在が大きく、在宅でのホスピスが当たり前になっているそうです。
私自身も、ホスピスでのボランティア活動を考えてこの会に参加するようになったわけですから、一歩目標に近づいたことになります。
1999年11月21日、「びんご・生と死を考える会」の月例会が
「ホロコースト記念館」福山市御幸町中津原866 にて行われました。
 会の性格上、会員が亡くなられる訳で、「びんご・生と死を考える会」として亡くなられた会員を偲ぶ会を開催しようということになりました。
 「あすなろ会」が「びんご・生と死を考える会」と名称変更してから、会員の中から「ぜひ会員で亡くなられた方の供養をしてはどうか。」という提案がありました。そこで、今回計画されたのが、月例会としての偲ぶ会です。場所は、会の顧問である大塚信さんが館長をされている「ホロコースト記念館」でした。
 ホロコーストを通して生と死を考えることにつながる話をしていただきました。その中で、「あなたの近くにいる一人の人を救うことは、全世界を救うことになるのだ。」という言葉が強く心に残りました。一人ひとりがまず身近な人の支えになることが必要であることは、宗教だけでなく、社会福祉の中心的な考えとしても重要です。一人ひとりができることから、まず行動をすることが大切であると改めて考えます。そして、ユダヤ人であったということだけで殺されていった人のことを考えると、社会福祉の根本的な考え方
である「人権擁護」をもっと真剣に考えなくてはいけないと思います。
 ホロコースト記念館では、ホームページを開設されていますのでぜひ訪問してみてください。URLは、
 http://www.urban.ne.jp/home/hecjpn/  です。
1999年11月7日、特別講演会「口上! 泣き笑い日記」を
びんご・生と死を考える会主催で開催しました。
   
(講演の後の落語です) 
 (笑福亭小松さんと一緒に)
小松さんは後ろの列左から3人目。私は前列の真ん中です
 講師は、『日本列島徒歩縦断! がん克服落語会』の著者、笑福亭小松さん。
 内容は、胃潰瘍と思って入院したが、実は胃がんだったというところから始まります。病院の中での出来事や、その後の日本列島徒歩縦断の時の話など、涙を誘う話ですが、笑いが一杯でした。種田山頭火が大好きで、そのことがきっかけで日本列島を歩くことを決意したとのことです。
話の随所に小松さん自身が作られた俳句、
 列島を歩いてゆくとは本気かよ…
 福山市内にも滞在され、旅館朝風、東武ホテルに泊まられています。そのときに作られた俳句は、生きている生かされているいのちかな
 その後、岡山県倉敷市で「生きがい療法」を提唱されている柴田病院・伊丹仁朗先生のところにも行かれています。
 笑福亭小松さんは昭和32年生まれの42歳。私の2歳上です。自分と年齢がほぼ同じだけにその内容も自分と比べてしまいます。
 講演のあと、本職の落語を演じていただきました。笑福亭松鶴の物まねは、お弟子さんの中でもピカイチとのことです。本当に笑福亭松鶴がいるような感じです。落語の方も笑わせていただきました。
1999年9月25日、月例会が中国中央病院で開催されました。

 (講師の大口浩美さんです)
 講師は、かとう並木通り病院緩和ケア病棟副婦長・大口浩美さんで、テーマは、「緩和病棟における
看護婦の役割」でした。
 内容は、緩和ケアの概念を導入に話され、@痛みの緩和、A心理的コミュニケーション、B家族へのケア、Cチームアプローチといったものでした。最後に、緩和ケアの看護婦に求められるものとして、次のような項目をあげて締めくくられました。
 1、がん看護に関する知識
 2、症状コントロールについての知識
 3、コミュニケーション技術
 4、相手を受け入れられる柔軟性

 緩和ケアにおいては、医師、看護婦だけでなく、ソーシャルワーカーや栄養士をはじめ、家族やボランティアなどさまざまな立場の人がチームを組むことが重要です。そして、本人の意思を尊重し、生活の質(QOL)を高める支援が行われなくてはいけません。
 今回の講演が看護の視点からでした。下にあるように、その前が医師でしたから、次はぜひソーシャルワーカーを講師にに呼んで話を聞きたいと思います。
1999年2月27日、「びんご・生と死を考える会」月例会が、中国中央病院で行われました。
 テーマは、「ホスピス・緩和ケアとは」で、岡山市にあるかとう内科並木通り病院の緩和ケア病棟副医長宮下浩明医師でした。
 内容は、ガンになるまでの経過、診断のこと、痛みの種類と対応、実際に提供できるケアやその際に注意することなどです。患者さんの気持ちに一番近く、患者さん本人のためになるようなスタッフの意見が自由に発言でき、その意見が尊重されることが大切であるということが強調されました。
 治療のためとはいえ、それまでの生活が継続できないようになることは、非常に苦痛です。病気になったことも苦痛ですが、それに加えて起こる生活上の苦痛に対して医療として対応はどこまで可能なのでしょうか。患者に関するすべてのことに医療が対応することの限界を考えなくてはいけません。以前から、これについて強調し、対応してきたのは社会福祉、特に医療ソーシャルワークです。
しかし、このことはあまりにも知られていません。このことが残念であると共に、私たちの力不足を反省します。
1999年1月31日、私が参加している「びんご・生と死を考える会」主催の講演が開催されました。
 テーマは、「人生の危機への挑戦」。講師は、上智大学教授 アルフォンス・デーケン氏でした。講演の後、懇親会と交流会がありました。
 懇親会と交流会では、この会の特色でしょうが、さまざまな職種の方との交流ができました。医師、看護婦、僧侶、ガンを患っている人、カウンセラー、音楽療法士、主婦……等々。そのときに改めて思ったのですが、自分の専門分野だけにこだわらず、さまざまな分野の人、自分と環境の違う人との接触がやはり必要であるということです。自分と違う考えを持っている人と接し、話をすることで今までとは違ったことを感じたり、考えたりする事ができます。
 今後もこのような機会を大切にしていきたいですね。

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